【しるくわ日記】No.12 大分県の 養蚕の歴史 4

2017年07月07日

シルクワームのサンライズがある九州大分県の養蚕の歴史です。

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大分県の 養蚕の歴史 4 明治時代2

大分県の明治時代の養蚕。

養蚕の模範工場が建設される

明治18年(1,885年)、小野帷一郎、篠山駒次郎、湯地惟忠達が、大分郡荏隈村(おおいたぐんえのくまむら・現大分市隈村)に、県の資金で模範工場を設立しました。
県はこの工場を株式会社大分製糸場に無償で貸し与え、県内初の器械製糸が行われるようになりました。工場の規模は、大小の家屋があり、倉庫が7棟、繰糸窓数50と、当時では最大級の規模の工場だったそうです。

参考資料:朝日紡績株式会社能美島工場

参考資料:朝日紡績株式会社能美島工場

19年には、同業組合法の準則が発布され、各郡に組合が組織され、25年には県令で養蚕業取締規則が制定、巡回教師の派遣や、品評会の開催、蚕種検査や衛生への取り組みが広がり、大いに活性化。
県の支援も厚く、目覚ましい進歩を続けながら、大分の養蚕は関西でその名を知らしめたと言われます。

参考写真:明治時代の大阪 堺

参考資料:明治時代の大阪 堺

波に乗る大分の養蚕は設備の拡張を行い、さらには新しく創業する人たちも現れました。
その中で、小野帷一郎が社長を務め、初期の組合を束ね共同販売を行っていた蚕業原社が、23年に営業満期となり解散。
南豊(大分の南方面)10社が南豊館を組織して共同販売を行いました。
以上の通り、県内各郡の先覚者達によって養蚕と製糸業は大きな成長を遂げます。

また、下毛郡では、稚蚕の共同飼育を先駆けて行うなど、組合の発足と同じく、後の更に近代的な養蚕・製糸業の先駆けとなる取り組みもありました。

参考写真:明治時代の製糸工場  (富岡製糸場・群馬県富岡市)

参考写真:明治時代の製糸工場  (全国に器械製糸の技術を広めた富岡製糸場・群馬県富岡市)

日清戦争後に襲った不況

明治27年8月、日清戦争の頃より、桑の病気(萎縮病)が蔓延し、桑畑が荒廃。

さらに、養蚕ブームに乗って開業した業者が、戦争後の物価高騰によって倒産が相次ぎ、鷹居(宇佐郡駅館村・現宇佐市)、豊陽(大分郡桃園村・現大分市鶴崎)、豊南(北海部郡青江村・津久見市)、不二(大野郡小富士村・現豊後大野市緒方町)、直入(現竹田市直入町)、竹田(現竹田市)の製糸工場が閉鎖。
記録的な不振が続く。

参考写真:明治時代の大分

参考写真:明治時代の大分

しかし、日露戦争が勃発すると、国策により戦費確保のための輸出用蚕業が奨励され、大分県の養蚕業は息を吹き返しました。
明治38年には、蚕種製造業者、生糸製造業者、仲介業者が全県下を対象とした蚕糸同業組合を組織、更に進化した養蚕・製糸産業の体勢が作られました。

ロシアとの外交や、日露戦争で活躍し、大日本帝国初の軍神として祀られた、廣瀬武夫(大分県竹田市出身)と、水雷長を務めた戦艦朝日(明治33年竣工)

ロシアとの外交や、日露戦争で活躍し、大日本帝国初の軍神として祀られた、廣瀬武夫(大分県竹田市出身)と、水雷長を務めた戦艦朝日(明治33年竣工)


【しるくわ日記】養蚕の歴史シリーズ 目次

竹田市の養蚕の歴史1 古代 豊後風土記 直桑村

竹田市の養蚕の歴史2 万治年間(1658~1660)岡藩に養蚕業興る

竹田市の養蚕の歴史3 天保年間(1830年から1844年頃)養蚕の復興

竹田市の養蚕の歴史4 文久年間(1861年から1864年)馬淵小源次と水力製糸

竹田市の養蚕の歴史5 天保・文久~明治の養蚕業の発展

江戸時代

大分県の 養蚕の歴史1

大分県の 養蚕の歴史2

明治時代

大分県の 養蚕の歴史3

大分県の 養蚕の歴史4

大分県の 養蚕の歴史5

大分県の 養蚕の歴史6

連載予定

 大分県の養蚕の歴史 大正時代

 大分県の養蚕の歴史 昭和時代

 大分県の養蚕の歴史 現代


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