【しるくわ日記】No.9 大分県の 養蚕の歴史 1

2017年02月13日

シルクワームのサンライズがある九州大分県の養蚕の歴史です。

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大分県の 養蚕の歴史 ① 江戸時代 前偏

大分県の主な養蚕の記録 江戸時代 前偏

北海部郡 (津久見市の全域、臼杵市の一部、大分市の一部)

 文政(1818-1830)~天保(1830-1844)の頃には、臼杵藩士の家に古い桑の木があったそうです。

 文化年間(1804-1818年)の古文書に、当時の大目付が、南津留、北津留、海添(現臼杵市の一部)の川辺に、桑の木を植えたので勝手に摘みとらないよう、摘葉禁止の触書を出したと書かれているそうです(笹山弥作方)。生産は小規模でした。

下毛郡(中津市の大部分)

 享保二年(1717)に奥平中津藩の藩主となった、奥平昌成が、養蚕の盛んな、下野宇都宮藩(栃木県)の第2代藩主だったこともあり、藩士の中に養蚕を行う者が多くいて、 春になると、お餅を繭玉にみたてた繭団子を、蚕神に奉じるお祭りが行われていました。

 弘化年間(1844-1847)に、国産役所*に勤め、色々な国の養蚕を見てきた、西幸次郎さんが移り住んできて、養蚕を研究しながら広めました。

 *領内で生産される国産品の奨励や統制を行う役所

 

日田郡 (日田市の全域、中津市の一部)

 享保年間(1716-1735)に、三芳村大原神社々家の女性が、取り寄せた蚕卵紙から、その年のうちに二回、蚕が孵化して、とても珍しい事だと驚き、「新原糸」と言い伝えられました。

玖珠郡 (九重町と玖珠町)

 文久元年(1861)、当時の森藩(玖珠郡・速見郡内を領した藩)の、島宮内と言う人が、養蚕の中心地のひとつ信州(長野県)から、養蚕家を呼び寄せ広め始めました。博多での販売で好評を得たものの、養蚕を伝授された島宮内の次男の、彦五郎夫妻が相次いで亡くなり、「蚕児のたたり」と称して、養蚕をする人が激減してしまいました。その中で藩士木村義彰が、彦五郎と共に養蚕を学んだ近藤正恒から養蚕を学び、産業としての効果は小さいものの、養蚕技術は受け継がれていきました。

西国東郡(豊後高田市の大部分と杵築市の一部)

 嘉永年間(1848-1854)、三重村夷(エビス)と言うところに、古い桑の巨木があり、藤岡かつと言う女性が養蚕と製糸業を営んでいました。

万延(1860-1861)の頃には、”かつ”は村内の養蚕家の依頼にで繰糸を行い、夷の糸の質の良さは「夷糸」として、近郷で評判となったそうです。

岡藩(竹田市)

 万治年間(1658~1660)岡藩に養蚕業興る

 天保年間(1830年から1844年頃)養蚕の復興

 文久年間(1861年から1864年)馬淵小源次と水力製糸

 天保・文久~明治の養蚕業の発展

大分郡(大分市の大部分、別府市の一部、由布市の大部分)

 三佐に伝習場(岡藩の飛び地)

府内藩(大分市)

  津留に桑園の記録

大分県の養蚕 ② 江戸時代~明治維新頃 後編へ つづく


【しるくわ日記】養蚕の歴史シリーズ 目次

竹田市の養蚕の歴史1 古代 豊後風土記 直桑村

竹田市の養蚕の歴史2 万治年間(1658~1660)岡藩に養蚕業興る

竹田市の養蚕の歴史3 天保年間(1830年から1844年頃)養蚕の復興

竹田市の養蚕の歴史4 文久年間(1861年から1864年)馬淵小源次と水力製糸

竹田市の養蚕の歴史5 天保・文久~明治の養蚕業の発展

江戸時代

大分県の 養蚕の歴史1

大分県の 養蚕の歴史2

明治時代

大分県の 養蚕の歴史3

大分県の 養蚕の歴史4

大分県の 養蚕の歴史5

大分県の 養蚕の歴史6

大分県の 養蚕の歴史7

大正時代

大分県の 養蚕の歴史8

大分県の 養蚕の歴史9

大分県の 養蚕の歴史10

連載予定

 大分県の養蚕の歴史 昭和時代

 大分県の養蚕の歴史 現代


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