【しるくわ日記】No.20 大分県の 養蚕の歴史 14

2018年08月06日

シルクワームのサンライズがある九州大分県の養蚕の歴史です。

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大分県の 養蚕の歴史14 昭和初期 太平洋戦争前後

大分県の太平洋戦争(第二次世界大戦)前後に刻まれた養蚕の歴史です。
世界的な大恐慌で苦しんだ養蚕の特約組合は、戦時中に農業会に吸収されてしまいます。そして、食料やパラシュート生地用の糸の生産に携わります。
戦後、農業協同組合が発足する段階となり、次の時代へと移りました。


昭和初期の世界的な大恐慌

海外への輸出が主だった製糸産業は、景気の影響を受けやすい産業でした。

昭和5年の世界的な大恐慌では、前年の半分以下に価格が暴落。その負担が、特約組合の養蚕農家を襲いとても苦しい状況が続きました。

繭の価格 一貫(3.75kg)あたり
昭和4年:6円90銭
昭和5年:3円(暴落)
昭和8年:5円40銭
昭和9年:2円60銭(暴落)

昭和初期の物価(昭和5年~15年頃)
白米10kg:1.2円~3.3円(現代3,946円)
たまご10個:41銭~71銭(現代250円)
コーヒー1杯:10銭~15銭(現代420円)
ビール(瓶):38銭~45銭(現代380円)
新聞:90銭~1.2円(現代4,037円)
大卒初任給:73円~80円(現代20万円)


太平洋戦争の時代に農業会で食料を生産した養蚕農家

戦争が激しくなった昭和18年に農業団体法が成立。特約組合は、新しくできた全国的な組織の農業会に吸収されます。

農業会では、養蚕組合の他、色々な農会や、産業組合、畜産組合、茶業組合等がまとめられ、戦争中の農産物の生産が、国の元で管理されるようになりました。

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敗戦の色が濃くなった昭和十九年には、食べ物の生産が重要となります。養蚕農家も、養蚕より食べ物の生産が優先になり苦しい時代は続きます。


戦争中の生糸(シルク)の需要

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質素な、国民服やモンペで暮らす時代に生糸(シルク)の需要はほとんどなくなりましたが、海軍のパイロット(搭乗員)がつかうパラシュート(落下傘)の素材に薄くて強いシルクの布が使われました。

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シルクの布は、滑りやすく質の良いパラシュートを作るのに最適だったそうです。

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戦争が終わり農業会から、農業協同組合へ

第二次世界大戦が終わると、占領軍の政策で農民解放指令が出され、農業会は解散します。

その後、農業協同組合(後のJA)が登場し現代へと続いて行きます。

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この頃から、養蚕農家と大企業の立場による負担も、解消されるようになって行きました。


【しるくわ日記】養蚕の歴史シリーズ 目次

竹田市の養蚕の歴史1 古代 豊後風土記 直桑村

竹田市の養蚕の歴史2 万治年間(1658~1660)岡藩に養蚕業興る

竹田市の養蚕の歴史3 天保年間(1830年から1844年頃)養蚕の復興

竹田市の養蚕の歴史4 文久年間(1861年から1864年)馬淵小源次と水力製糸

竹田市の養蚕の歴史5 天保・文久~明治の養蚕業の発展

江戸時代

大分県の 養蚕の歴史1

大分県の 養蚕の歴史2

明治時代

大分県の 養蚕の歴史3

大分県の 養蚕の歴史4

大分県の 養蚕の歴史5

大分県の 養蚕の歴史6

大分県の 養蚕の歴史7

大正時代

大分県の 養蚕の歴史8

大分県の 養蚕の歴史9

大分県の 養蚕の歴史10

大分県の 養蚕の歴史11

昭和初期

大分県の 養蚕の歴史12

大分県の 養蚕の歴史13

大分県の 養蚕の歴史14

連載予定

 大分県の養蚕の歴史 現代


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